Topics 2002年4月21日〜30日 前へ 次へ
30日(1) Retention Bonuses (2)
30日(2) 3つのBill
24日 Japan Problem
30日(1) Retention Bonuses (2) Source : Will a Bonus Stop a Breach? (Washington Post)
景気後退期には、Chapter 11による会社更正が盛んに行われる。簡単に言えば、財政的に立ち行かなくなった企業の資産や事業部門を切り売りして、債務を解消し、新たに出直すための手続きである。会社の運営は、その会社のCEOと、債権者委員会、裁判所が監視することになる。
その過程で、注目を集めているのが、Retention Bonusである。企業の資産や事業部門の売却には、当然その分野での専門知識が必要だし、当該企業の資産価値を市場で売却する能力と交渉力が必要だ。そうなると、最も手軽な方法は、それらの活動を、これまで当該企業で担当してきた幹部、従業員に委ねることだ。
ところが、従業員の側に立つと、倒産した企業に将来性があるのかどうか不安だし、再出発できたとしても、そこで自分達が必要な人材となっているのかどうか見通しが立たない。むしろ、自分が所属していた事業部門を売却すれば、自分もいらなくなると考えるのが普通だ。そこで、能力のある従業員、市場価値のある従業員ほど、さっさと辞めて転職の道を探すことになる。
それを引き止めるのが、Retention Bonusである。上のような目的で支払われるため、専門知識が高くなるほど、旧経営陣の中で責任が重かった幹部ほど、企業再生には必要な人材となり、高いボーナスが支払われる。
Topicsの3月30日「Retention Bonuses」で、Enronの支払計画を紹介した。1700人を対象に、総額4000万ドルを支払うという、巨額のボーナス支払計画だったが、結局、裁判所でも認められ、実行に移されているようだ。
企業経営、会社再生のためには不可欠ということになるが、他方、債権者やLaid-offにとっては納得がいかない措置となる。経営をおかしくしたのは、まさに旧幹部であり、その人達が多額のBonusを受け取りながら、例えば、Laid-offは、解職手当てすら規定通りに支払われない。
上記Sourceで取り上げられているCoffee Supplierは、製品納入先がChapeter 11に入ってしまったため、売掛金が未収となったままになっている。それでいながら、納入先幹部が多額のBonusを受け取ったことに対して、「彼らはただでコーヒーを飲んでいる」と怒っているのだ。それも感情的には理解できる。
結局、債権者委員会では、大口の債権者が可能な限り債権を回収しようとすることになるので、Coffee Supplierのような小口債権者の意向は汲んでもらえないのだろう。金が基準の資本主義では仕方のないことだと思うが、ちょっとやるせない気分になる。
日本では、会社が倒産となると、有能な人ほど早くいなくなってしまい、債権の取り立ても過酷だ。もちろん、再生可能の目処が立っていればそんなこともないだろうが、銀行が見放した企業には厳しい。旧経営陣にとって、「責任を取ること」と「企業を再生すること」のバランスをどう取るのか、まさに経営上の重要な判断となる。最近は商法の改正等で、再生にウェイトを置くことがかなりできるようになってきているが、さらに柔軟性と選択肢を用意しておく必要があるのではないかと思う。
30日(2) 3つのBill
Sources :
・Kennedy, Clinton To Introduce Legislation To Boost Number of Insured Later This Spring (Kaisernetwork)
・Shifting Health-Care Costs to You (BusinessWeek)
医療費の高騰が政治問題化しつつある。2001年に企業が負担した医療保険料は、11%も上昇した。
高騰の主な要因は、医療技術の進歩によるものだそうだ。そのほか、寄与度は低いものの、処方薬の価格も17%上昇した(Topics 3月29日「Prescription Drugs」)。
医療に関するBillの増加を防ぐため、企業の対応が忙しくなっている。主な対策としては、
・従業員の保険料負担増
・免除額(deductible)の引き上げ
・Consumer-Driven Health Benefit (CDHB) の導入
といったものが中心となっている。最初の2つは、従業員の負担を高めることで、医療保険を維持しようというもの。最後は、Defined Contributionとも呼ばれ、予め企業側の負担枠を決めておいて、従業員がニーズに基づいて保険の内容を選択するというものだ。この手法は、まだまだmajorにはなっていないものの、企業負担抑制策として、注目されている。
1990年代にHMOが注目を浴びたように、このCDHBが切り札になるかどうかは、予断を許さない。もし、これらの手段が功を奏さず、企業が相次いで医療保険の提供をやめるようなことになれば、政治的に新たな動きが発生することが考えられる。実際、民主党のKennedy上院議員(HELP委員長)とClinton上院議員は、100人以上の従業員を抱える企業に、連邦政府が提供する標準タイプの医療保険を強制するというBillを用意しているそうだ。100人以上の従業員を持つ企業の無保険労働者は、無保険の被用者の3分の1を占めているとのことだ。この法案の目的は、無保険者削減とされており、先に労使共同で開始された「無保険者撲滅キャンペーン」(Topics 2月12日「医療保険改革と選挙」)に対応したものといえる。
表向き共和党議員は、関心を示しておらず、大きなムーブメントにはならないと見られている。しかし、100人以上の企業に対象を絞っていること、US Chamber of Commerceが無保険者撲滅キャンペーンの旗振り役であることから、10年前にBill Clinton大統領が提案した、universal health insuranceよりは、かなりの支持が得られるとの見通しもある。
共和党ならびにBush大統領が全くの無関心を装うことになれば、11月の中間選挙には大きな反動が来ることも予想される。
24日 Japan Problem
Source : Risk Transfers and Retirement Income Security (Pension Research Council)
4月22〜23日で、ペンシルバニア大学Wharton SchoolにあるPension Research Council主催のシンポジウム「Risk Transfers and Retirement Income Security」に参加した。
関係ない話だが、このシンポジウムは、主催者側の招待がなければ参加できないという、参加者の名誉心をくすぐる運営になっていた。それだけのことはあって、あの人の論文は読んだことがあるという有名学者や、しょっちゅう新聞に登場するFinancial Institutionの主任アナリストなどが参加していて、私はちょっと場違いではないか、という気持ちになってしまった。
いきなり話がそれてしまったが、このシンポジウムで、日本の経済、人口問題、社会保障が深刻に絡み合っており、ちょっとやそっとの小手先の制度変更では、どうにも抜き差しならない状態になりつつあるということを、再認識させられた。
その第1は、人口規模。日本とアメリカの出生率については、Topicsの2月14日「景気と出生率」で触れたが、アメリカは、出生率の維持とともに、移民受け入れにより、人口減少を食い止めている。対して日本の出生率は低下を続け、移民の受け入れは基本的に行っていない。その差は、50年経つと明白になる。しかも、アメリカ人達は、人口問題研究所の見通しを誰も信じていない、ということまで知っていて、日本の出生率は見通しよりさらに低下すると考えている。
人口規模は、経済規模にもつながるが、それ以上に決定的な問題となるのが、公的年金である。公的年金はこれまで世代間の所得移転として制度が作られてきたが、それを少しでも積立方式に近づけようとする努力が行われている。個人勘定の創設などはその一例である。日本には、公的年金の財政を将来どうするのか、という明確なビジョンがないため、ずるずると保険料率が上昇する見通しとなっている。2000年改革で保険料率は25%に抑えられた、と厚生労働省は説明するが、これは、@誰も信じていない出生率見通し(つまり高すぎる見通し)に基づいたものであり、しかも、A公的年金の保険料だけで25%も賦課して、高齢者医療はどうする、消費税はどうする、所得税はどうする、といったその他の公的負担との関連は一切議論されていない。対して、アメリカでは、既にSocial Security Taxはこれ以上上げないというコンセンサスができあがっているように思う。
確かに日本は金融資産を大量に擁しており、外国からの資産収入が入ってくることは間違いないが、それを高齢者が消費してしまうだけでは、金融資産は瞬く間に縮減してしまうだろう。米国債の大量売却も現実のものとなってしまうかもしれない。
第2に、日本の政治の貧弱さは、こうした社会保障や企業年金の世界の人達にまで知れ渡っている。Dinnerのguest speakerは、日本の経済状態の悪さについて、政治が変わらない限り、改善しないと説明していた。彼は、しょっちゅう日本を訪れるそうだが、日本の国民も企業も悪くない。従来通りよく働いている。しかし、政治が腐敗している。これでは何も変わらず、このままずるずると悪化していってしまうのではないかと懸念していた。
日本の社会が変わっていっており、そうなれば必然的に政治も変わる、という見方もある一方、今の選挙制度(一票の重みの格差が大きい)のままでは、大きく変わることはできないのではないか、という見方もできる。"The ballot is stronger than the bullet.-Abraham Lincoln"という言葉があるが、一票が最初から5分の1しかないとなれば、本当にそうかと疑いたくなる。こんなことを言っていると、5・15や2・26の青年将校のようだが、気分としてはまさにそんな気分だ。口利きビジネスに走る政治家、公的資金を注入されても平気で経営を続ける銀行トップ、虚偽の表示をして商売する企業。こんな状況は早く改善しなければいけない、という想いは国民に共通なのだろうが、ではどうやって速やかに変えるのか、変えた後はどうするのか、というトータルビジョンが描けない。そんなところが、今の日本の経済社会の足かせになっているのだと思う。
第3に、アメリカの専門家は、同時に常識も持っているということを深く認識した。日本の専門家というと、「専門○○」とほぼ同義になってしまうところがある。この分野では専門知識を持っているが、その他の分野についてはさっぱりという人達が、「専門家」として通用している。これでは、一つのissueについて、多面的な議論ができない。もっといえば、専門知識を社会が共有できないことになる。これは日本の社会にとって不幸である。おそらく、日本には、知識も、経験も、人材も、資金も豊富にあるのだが、それをコーディネイトする仕組みが揃っていないのではないか。コーディネイトする仕組みとはいろいろとあると思うが、現代社会において最も有効なツールは、「企業」だと考える。コーディネイトがうまくできれば企業は成長し、さらに活動を広げる。失敗すれば、その企業はなくす。こういうダイナミズムを持った企業の存在が必要だと思う。この点で、日本の企業活動には、まだまだ制約が多すぎる。そもそも会社の設立からして、かなり高いハードルが設けられている。
そんな印象を持った二日間だった。
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